はじめましてah-konと申します。
娘2人はそれぞれに独立し現在夫と2人暮らし。
兵庫県在住
もの創りに関わることなら何でも好きです。^ ^
現在までに 小規模な会社ならではの幅広い業務に関わってきました。
アパレルパターンナー、布製品の商品企画、生産管理、チラシやパッケージ等の印刷物デザイン、自社サイト構築、販売サイト運営管理など全てもの創りに関わることでした。WordPressはまだ初心者で勉強中です。
何も無いところから形になっていく工程を見るのが楽しくて、50代の今でも子供のようにワクワクする時があります。
そんなもの創りが体感できる仕事が好きで「趣味は仕事♪」という私でしたが、好き過ぎてできないことにまで頑張った末に心身を壊してしまいました。「好き」=「向いている」とは違うんですね。年齢を重ねていくうちにできていたことも出来なくなるんだということもわかりました。
幸いにもやりたいなと思える事がたくさんあります。自分と向き合いながら、ポンコツな自分でもとりあえずできることをやってみようと思っています。
現在はフリーでお仕事をいただいたり、色んなことに挑戦してみたり、自分を癒す旅をしたり 元気「元の気」を取り戻しながら自分らしい働き方を模索しています。
プロフィール
経歴
子供の頃から絵を描くことが好き
新聞のチラシ裏によく絵を描いていました。
小学低学年の頃母の足踏みミシンで縫物にハマる
ミシンの調子の悪い時には母に調整の仕方を教わり、その後は自分でも直せるほどになる
小学高学年の頃、母に新しいミシンを買ってもらってさらにハマる
かなり高価だったと思う色んな縫い目機能のあるコンピューターミシンで、嬉しくて夏休みに毎日ミシンで何かを作っていました。
中学2年生の頃ファッションデザイナーに憧れる
絵を書くのが好き+洋服が好き+ミシンで縫物が好き=ファッションデザイナーという安易な考え
短大で服飾デザインを学ぶ
2年間みっちり真面目に勉学に励み課題も完璧(!?)にこなす!お金も無かったのもありやる気満々で早く就職したかった。^^
1987年 アパレル会社に就職
主にカット&ソーのパターン作成、品質管理担当、デザインも手掛けたのですが、自分はアパレルデザイナーには向いていないと実感。
平面の布が立体的になり、パターンのラインによってスタイル良く見えたり数ミリ単位でシルエットが変わるアパレルパターンの奥深さにハマる。残業してでも仕事が覚えられるのが嬉しいという感覚で仕事をしていました。
1990年 商社のアパレル部署に転職
パターンナーとしてスポーツウェア、カジュアル婦人服等のパターン作成。仕様書作成、サンプル作成指示、付属の発注、外注パターンナーさんへの依頼、パターンチェックなど。
今のパターンはほとんどCADで作られているかと思いますが、この頃はまだ全て手描きでパターンを作成していたのですよね。当時作成したスキーウェアのパターンは30~40パーツほどありました。定規とシャーペンで線を引き、縫い代巾で均等に定規を充ててカッターでカットしていきます。全てのパーツをそうやってカットしていました。そして最後にパズルのように置いてパターンチェックです。そういえば仕様書も手描きで作成していました。
この会社の頃に先輩からアドバイスを頂きながら色んなアイテムのパターンを作る経験ができました。
結婚を機に退職。
1994年 結婚
時々お仕事を頂き自宅でパターンを作成していました
1996年 長女誕生
1998年 縫製工場でのパート
レディースカジュアルのアパレル製品を生産する縫製工場にパート勤務。ミシンを踏んだり、パーツをひっくり返したり、印付けをしたり・・・
この会社でパターンのCADを初めて触るもパターンを作れるほどのことはできず・・・
でもここでの経験が後に服作りに目覚めるきっかけになりました。縫い代付きの工業用パターンで待ち針やしつけ無しで効率よくミシンで縫うことができる。短時間で仕上がる量産縫製のコツを経験して学ぶことができました。
2人目妊娠を機に退職
2000年 次女誕生
2001年 子供服作りの始まり
子供服を購入する度に簡単に作れそうだなと思い無性に作ってみたくなった。
生地が無かったのでとりあえず不要になった妊婦時のパジャマをリメイク。その時作った子供のハーフパンツがキッカケで服作りにハマる!^^
2002年9月 型紙ショップ *K’s Bam Boo* オープン
子供服を中心に縫い代付きのパターンを作成しネット販売を始めました。
2013年 小さなアパレルの企画製造会社に就職
ネットショップだけでは収入が安定しないのでしばらく迷った末に就職することに。型紙のネット販売は副業として発送業務等は休日に行いました。
会社ではCADの講習を受けさせてもらえCADクレアコンポでパターンが引けるように。当然ですが慣れると手作業よりもかなり効率的で感動。
2015年 夫が倒れる
この日から生活が一変します。
夫はこれがきっかけで仕事ができなくなり無職になりました。
夫の入院、通院等で私は半年ほど会社の仕事を時短勤務に変えてもらう。
約半年後通常勤務(フルタイム)に戻してもらってからは多忙な日々を送ることになる。
2019年 コロナ過により自粛などあり世間も会社内の働き方も大きく変わる
春頃から「新型コロナ」というわけのわからんウィルスにより世間は大きく変化。
会社がネット販売事業に注力
2019年春頃から 会社がネット販売事業に注力することになり
自社サイトと大手ECサイト管理運営も担当/企画から販売まで
企画、デザイン、生産管理、品質管理、チラシ作成、パッケージデザイン、カタログ作成、自社WEBサイト管理、自社販売WEBサイト管理運営、出荷作業まで1人で幅広い業務に忙殺・・・”(-“”-)”
新しい事をやるのは好きなので苦ではなかったのですが さすがに身体がキツかった…
キャパオーバーで心身不調
2019年夏頃からキャパオーバーで心身に不調が表れる。
この頃には型紙ショップは ほぼ休眠状態です・・・(^-^;
業務時間内には他の業務でできないため自宅でWEBの商品ページ作成、新商品の販売が開始され予想以上に売れる。
休日出勤も続く・・・ 嬉しい悲鳴とはこのこと!?
この頃自分を犠牲にしてでも売上を増やすことに集中していました。
休みたいけど休めない・・・
「休めない」「頑張らないと」という呪縛から、キャパオーバーが続きます。
2020年 心身が病む
2020年2月心療内科で診てもらいこころが病んでいることが判明。
その後も休むことができない状況が続く。
2022秋 退職
心身がさらにおかしくなっていく自分をようやく俯瞰して見られるようになり「何のためにがんばっているのかな」という想いが段々と大きくなりました。
金銭面からの不安から「辞める」という選択肢が無かったのですが、ふと我に返れた気がします。
「なんとかなる!」「とにかく自分を癒して元気に戻す」
トンネルを抜けるのには長い期間がかかりました。
情報収集(出来ることの選択肢を増やす)、独りで抱え込まない、相談する、自分を知る、出来ないことを認める、休む、自分を褒める、自分を癒す。
そうする事で今までと違う考え方ができるようになっていきました。
元気→「元の気」
焦らず「心地よく過ごす」ことが元気になる近道なのかもしれません。「休む」って大切です。
現在
今まで経験してきた仕事はどれも楽しく「好き」と思えることばかりでした。
辛い経験はありましたがやっていた事はどれも「もの創り」に関わる好きなことでした。
そんな好きなことが50代になっても仕事として続けられたことはほんとうに幸せです。
今後は今までの経験を活かして自分らしい働き方ができたらいいなと思っています。
型紙ショップ *K’s Bam Boo* は
以前のようにパターンを紙ベースで販売することはコストの高騰等により難しい状況にありますので、違う形でお洋服作りを楽しんで頂けるようにできたら良いな思います。
お見苦しい箇所がございますが、今後少しづつお役に立てる情報を掲載できたらと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。